片付けられない私が片付けました

今日は秋分の日の祝日。

私が住む地域はゴミの日、お休みで時間に余裕があったことから、もう処分しなくてはと思っていた衣類を少しゴミに出しました。

その後、近くのショッピングセンターに買い物に出ることになったので、出かけるまでにもう少しだけ洋服を整理しようかなという気持ちになり、ユ◯クロで購入した服はリサイクルのために引き取ってもらえるということを思い出し、着なくなった服をいくつか探し、買い物の時にリサイクルボックスに入れてきました。

これだけでも私としてはとても珍しいことでしたが、買い物から帰宅し、何となく朝の続きをしてみようという気持ちになり、自室へ。

以前も服の整理はしましたが、それでもまだ着ないものや着られないものがたくさんあることはわかっていました。

どんな風に片付けていったか


クローゼットを開けて、しばらく考え、「今日はしっかり片付けてみよう」という気持ちになり、洋服収納の引き出しを全て床に出し、収納に入りきらなかった服も集めました。

結構な量の服を目の前に広げて途方にくれましたが、まずは、

着なくなったユ◯クロの服は引き取ってもらえることがわかっているので、まずはそれをピックアップ

しながら、洋服を分類していきました。

まだ着られるのに処分しなくてはいけない、という罪悪感から解放されるので、これはとても元気付けられました。

そして、傷んでいてもう着られないものは処分することに。

傷んではいないけれど、サイズが合わないもの、もう似合わないもの、人に譲ってもいいと思うものは、リサイクルショップに持ち込むことを想定して分類しました。

これも、気に入っていて本当は着たいのに着られず、いつまで経っても捨てる決心のつかなかったものを処分するのに有効だと思います。

そして、分量の減った服を収納に収めていきますが、

・自宅で過ごす時に着るもの

・外出用のもの

・ニット

・カットソー、Tシャツ

・羽織り物

など今の生活に合う定義を決めて収納し、収納に隙間ができるくらいになりました。

この後は、サイズが合うかどうかわからず同じようなものがたくさん集まってしまったパンツ類、購入してから時間が経ち、デザイン的に似合うかどうかわからないものをどんどん試着し、今着たいと思わないもの、サイズの合わないものはリサイクルに回せるよう、どんどん分類しました。

片付けながら考えたこと


もともと服に極端にお金をかける方ではなく、高価な服はないにしても、あまりにも多くの服があり自分でも呆れましたが、一番古いものでは大学4年の就職活動の時に使ったブラウスから自分の社会人としての時間を共に過ごしてきた服に袖を通しているといろいろなことが思い出されました。

この服は事務処理の仕事をしていた時で、ある程度好きな服を着られた時に好んで着ていたものだな、とか、これは広報の仕事で外回りをしていた時のもの、とか、このコートを着てあの子とよくごはんを食べに行ったな、とか・・・

写真は外回りの仕事の時に気に入って着ていたパープルのベルベットのジャケットで、ヴィンテージのブローチをつけるのも好きでした。

でも、今日羽織ってみると、残念ですが、今は似合わないしサイズも合わないため、リサイクルに持って行ってみようと思います。

そもそも何故こんなに服が多いのか?


それも考えました。

リサイクルや処分に回すものも含めて考えると、やはりかなりの量の服があります。

作業しながら、その理由を振り返っていると、思い出して来ました。

もともと服が多かったというのもありますが、5年前に夫が入院した時、その約1年後に再入院した時の2回、私は実家に里帰りしていました。

実家が近く、家族が元気でいてくれるためにできたことでしたが、私は一人暮らしの経験もなく、到底一人で過ごすということができないと思い、実家に戻りました。

1回目は私は広報で外回りの仕事をしていたとき、2回目は自分自身も病気療養中でほとんどの時間を実家で過ごしました。

当然必要な服が異なりますが、自宅から必要なものを全て持ち出すこともできず、足りないものを随分買い足して済ませたように思います。

また、そのせいばかりではなく、病気療養中は外出がままならず、ネットを見るくらいしかできない、実家での引きこもり生活。

引きこもりつつ出かける先は夫の入院する病院への面会です。

面会に行くと病院の独特の雰囲気でどっと疲れましたが、唯一の楽しみは病院の帰りに乗り換え駅でショッピングモールに寄ることでした。

今思うと、その時も随分と余分なものを増やしてしまったなと思います。

こうして書くのははばかられますが、選ぶこと、買うことが楽しみで、実際には使わないものもありました。

思えば、多いのは服だけではなく、雑貨なども同様で、それは以前かなり処分したのでした。

いわゆる買い物中毒まではいかなかったかもしれませんが、自分でもその異常さを認識し、主治医に「買い物をしすぎてしまう」ということを打ち明けた覚えがあります。

主治医は支払う限度を超えるほどでないのなら、自分で少し気をつけてみたら、というアドバイスをくれる程度だったと記憶しています。

何故片付けられなかったのか


断片的には手をつけていた服の整理ですが、どうしても徹底してすることができず、やり遂げたと思うことができたのは、今日が初めてです。

何故、今日突然に片付けを始める気持ちになったのかは正直なところわかりません。

が、朝ゴミ出しの時に、ほんのすこしいつもと違う行動をしてから、すでにそれをすることが決まっていたようにも感じます。

スピリチュアルなことには非常に疎い方ですが、「今日はこれをする日なのかもしれない」と思えたのです。

ただ、片付けの作業をしていて思ったのは、残す服の収納を自分がどのようにしたいかということが、はっきりしていたということです。

自宅で過ごす時間、外出して誰かと会う時間、学ぶ時間などどれも大切なもので、そのための服をわかりやすく収納したいというイメージができていました。

これまではそのイメージがなかったために、片付けに着手しても中途半端で終わってしまったのだろうと思います。

このイメージとは、ちょっと大げさかもしれませんが「なりたい自分」「自分がどのように過ごしたいのか」というイメージだと思うのです。

私の中では、外出している時間のほか、自宅で過ごす時に快適であることがとても大事なことなので、服がきちんと収納できていず、部屋が雑然としていること自体もとても嫌なことでした。

でも、自分がどのように過ごし、何を大切にしたいかというイメージがないために、自分が苦痛に感じる状況を自ら作り出していたのだということが今はわかります。

実は、このことは私のコーチングの師匠である網野麻理さんから10ヶ月ほど前にヒントとしていただいていましたが、これまではその半分くらいしか実感できていませんでした。

ようやく、今日はそれをしっかり体感することができました。

片付けに悩む方へ


片付けが進まず悩む方は多いと思います。

でも、焦らないで下さい。

私が今日の作業をするというのは、自分でも全く予定になかったことでしたが、それは突然訪れました。

焦る必要はないと思いますが、ただ待っていてもその日は訪れないのかもしれません。

これまでの自分を振り返り、これからの自分のことをゆっくり、しっかり想う時間が必要なのではないかと私は考えます。

それをしているうちに、「これから自分がどのように生きていきたいのか」が見え、その時には自分に必要なものがはっきりするはずだと思います。

私もまだたくさん迷っている最中ですので、この作業を時折繰り返しながら過ごしていくのだな、と思っているところです。

もし、ご自身だけでその作業をすることが難しいと思われましたら、どうぞコーチング・セッションをお試し下さいね。

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