昨晩は夫と久しぶりにゆっくり話をしました。
あ、夫婦で同居していますし、いつも会っていないとかではなく、平日はなかなかゆっくりできないのもありまして(笑)
今週、夫が会社で過ごしていて嫌だと思ったことの話になりました。
聞いてみると夫の言い分もわからなくはないのですが、根底にある根深い思いに支配されていることがストレスの原因になっていると感じたので、それを伝えてみました。
「俺のことをバカにしているからあんなことを言ったりしたりする」
夫を支配しているのはこの思いで、ここ数ヶ月で起こったことを振り返って共通しているポイントでした。
この感情に支配されていると、毎日過ごす中で起こる自分にとって不本意な出来事が、それ自体よりも、いっそう辛いものに感じられると思います。
実際に職場の人や家族は本当に彼のことをバカにしたりしているのでしょうか。
そもそも、
「他人のことにそんなに関心があるだろうか」
「バカにされるようなことを夫はしているのか?」
と考えてみると、そんなことは無いと私は思っていますし、
「バカにしているという根拠は?」
と問い直してみたときに、その考えには何の根拠もないということに気づき、自分の思い込み、思考の歪みであることがわかると思うのです。
あ、夫婦で同居していますし、いつも会っていないとかではなく、平日はなかなかゆっくりできないのもありまして(笑)
今週、夫が会社で過ごしていて嫌だと思ったことの話になりました。
聞いてみると夫の言い分もわからなくはないのですが、根底にある根深い思いに支配されていることがストレスの原因になっていると感じたので、それを伝えてみました。
「俺のことをバカにしているからあんなことを言ったりしたりする」
夫を支配しているのはこの思いで、ここ数ヶ月で起こったことを振り返って共通しているポイントでした。
この感情に支配されていると、毎日過ごす中で起こる自分にとって不本意な出来事が、それ自体よりも、いっそう辛いものに感じられると思います。
実際に職場の人や家族は本当に彼のことをバカにしたりしているのでしょうか。
そもそも、
「他人のことにそんなに関心があるだろうか」
「バカにされるようなことを夫はしているのか?」
と考えてみると、そんなことは無いと私は思っていますし、
「バカにしているという根拠は?」
と問い直してみたときに、その考えには何の根拠もないということに気づき、自分の思い込み、思考の歪みであることがわかると思うのです。
私が認知行動療法の訓練を受けた体験
私は心理療法の専門家ではありませんが、過去に患者として精神科医に相談の上、病院内でカウンセリングを受け、その中で認知行動療法の訓練を行ったので、その流れを患者であった立場として経験しています。
私自身が以前調子を崩したときに、身の回りに起こるよくないことの全てが「自分がちゃんとできないせいだ」と、全て自分を責める方向に捉えていました。
ある時に、もしかしたら、自分の物事の捉え方は少しおかしいのかもしれない、と思い、主治医に相談し、臨床心理士の方のカウンセリングを受け、認知行動療法を行ないました。
認知行動療法では、先ほどの夫の
「俺のことをバカにしているからあんなことを言ったりしたりする」
と自然にわいてきてしまう気持ち「自動思考」について、
「それは本当か?その根拠は?」
と、冷静に物事を見つめ直す作業をして、
「ああ、これは自分の捉え方が歪んでいたのかもしれない。こんなふうに思わなくてもいいんだ」
と思い直す作業をすることで、認知の歪みを取り除き、そこにある事象をあるがままにとらえる訓練をしました。
私の場合は、それまでに自分がストレスを感じた場面を思い出し、繰り返しこの訓練をし、自分の思考の癖や、体調を崩すパターンなどを自分で認識していきました。
この作業を通じて、自分は責める必要の無いことでどれだけ自分を責めてきたのかを認識し、責めるような考えが起きた時にには、
「それは本当か?その根拠は?」
と問い直すようになり、とても気持ちが楽になりました。
夫の「俺のことをバカにしているからあんなことを言ったりしたりする」という思考は、家族ではあるものの第三者である私から見ると根拠がなく、むしろ、「病の治療をしながら仕事に行っていることを私は尊敬し、感謝している」ということを伝えました。
でも、今の歪んだ思考のままではその言葉もなかなか本人の心の奥には届いていないと思います。
自分なんてという感情を手放すということ
「その思考を捨てちゃったら生きるのがずっと楽になるかもしれないよ?」と私が言うと、「そうかもしれない…」と少し納得したようでした。
夫がこの囚われから解放されたら、どんなに彼は楽になるだろう、と思います。
でも、自分のときのことを思い返してみても、本人が
「自分の物事の捉え方はもしかして少し偏っているのではないか?」
と気付き、それをニュートラルなものの見方へと矯正しようと自分自身が思わなくては、変わることは難しいのではないかと感じています。
(あくまでも自分の体験に基づいて、ということです)
私自身は、「夫が楽になってくれたらいいのに」という思いの裏側に「自分が楽になりたい」というエゴがはたらいていたことにも改めて気付きました。
家族としての私ができることは、本人が自分自身でそこに真剣に向き合おうとし始めたときに、医師への相談などサポートをすることくらい。
訓練し、自分だけが思い込んでいるその思いを手放す作業をするのは本人です。
「自分なんて…」という囚われがどれだけ自分を苦しめるものなのか、私も自分なりに体感していますし、たまにはその穴にハマるときもあります。
ハマっても自分で出て来られるよう、ある程度は訓練できると思うのです。
私は繰り返し、「あなたはバカにされてなんかいない。自分の役割をしっかり果たし、恥ずべきことなど何もない」ということを言いつづけることしかできないと思っています。
突き放しているようですが、私自身も、夫の領域、自分の領域をしっかり区別し、踏み入ったり踏み入られたりしないことが必要だと思います。
私は先月、3回も救急車のお世話になる、原因不明の腹痛に悩まされました。
これが、ストレスによるものであるならば、私自身も、自分と他人(たとえ配偶者であっても)の境界を引くべきところで引く、ということをすることで、自分も心身ともに安定した状態でいることができるのではないかと思います。
いくら私がコーチであっても、夫のケースはコーチングでどうにかする範疇を超えていると考えられること、家族ととしてそれを行なうのはとても難しいことなどいろいろあります。
間柄が近ければ近いほど、ニュートラルな目線を自分も失っていってしまうのです。
一夜明けた今日、夫は「昨日は大事な話をした」とボソッと口にしました。
急激な変化や展開はないでしょうけれど、お互い真剣に話して得るものがあった会話でした。
☆☆☆
バラは先日夫婦で毛呂山町の滝ノ入ローズガーデンに遊びに行った時に撮影したものです。
美しいバラに癒され、帰りには夫を美味しいランチで釣るべく(笑)探しておいたおしゃれなカフェで食事をしてきました。
よい季節がもう少し続いてほしいですね。
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